フラメンコギターとは




18世紀年代後半には、スペイン南部アンダルシア地方で制作されていたギターは、
19世紀中期に登場したアントニオ・トーレス(1817-1892)により、現代楽器として完成度を
高めるに至る。
フラメンコの伴奏楽器としての定位置化もほぼこれと重なっており、トーレスの功績の大きさが
伺われる。

しかし、19世紀末頃からフラメンコギターの大きな流れはマドリードへ向く。
マヌエル・ラミレス(1866-1916)の登場である。
彼はトーレスの残した技術改新を受け継ぎ、それを発展させながら、さらに音量と深みの点で
新たな解釈を与え、マドリード派を確立していった。
彼の工房には、サントス・エルナンデス、ドミンゴ・エステソ等、後のギター界を支える名工達が
弟子として研鑽を重ねていた。

1916年にラミレスが没すると、弟子達も独立し、それぞれの特色を出しながらギター制作に
うちこんだ。
中でも、サントス・エルナンデス (1873-1942)は、師の教えを継ぎ、マドリード派の主流として、
至高のギター作りに励んだ。
深みがあり重量感に富む低音から澄み切った高音に至る一貫した充実、そして和音の美しさに
定評があり、彼の周りには多くの著名ギタリストが集まった。

その後を継ぐことになるマルセロ・バルベロ(1904-1956)は、若い頃はサッカー選手でもあり、
プロボクサーでもあった。
サントスの死後、その夫人によりラミレス工房の職人だった彼がサントスの後継者として嘱望され、
その仕事を継続した。
サントス同様に、多くの人々に慕われ、また多くを受け入れることができた彼は、自らの技術を
多くの者に伝えることもいとわなかった。

その直弟子アルカンヘル・フェルナンデス(1931- )も、師の短命によりマルセロの工房にいたのは
わずか2年であり、それまではプロ級の ギタリストであり、俳優志望であり、家具職人という
変わり種だった。
師同様にじっくりと時間をかけ納得のいくものを作るという制作姿勢によって、その奏でられる
美音と制作本数の少なさには定評があり、常に世界中のギターファンを予約待ちに甘んじさせている。

また、マルセロを師と仰ぐコルドバの名工マヌエル・レジェス(1834- )は、マルセロに直接
教わったのは彼の工房をたずねたわずか2日間だったという。

ラミレスから別れたもう1本の枝ドミンゴ・エステソ(1881-1937)は、並外れた技術と
センスによって、着々と自らのブランドを確立していった。
彼のギターはサントス・エルナンデスと違い明るい高音が持ち味とされる。
彼もまたクラシック、フラメンコの枠を超えて広くギタリストと交流し、多くのアーチストに影響を与えた。

ドミンゴの直系といえば、甥にあたるファウスティーノ(1813-1990)を長兄とする
コンデ3兄弟によるコンデ・エルマノス。
各自独立して工房を構え、現在はそれぞれの後継者により多くのギターを生産するメーカーとなっている。

アントニオ・トーレス以後、アンダルシアの名工として名を馳せたのが、ミゲル・ロドリゲス(1888-1975)。
彼はマドリード派の製作者からも敬意と賛美をかちえていた独立独歩の職人で、丁寧な造作と
そこから奏でられる美しい音には定評があった。

銘器とも呼ばれる程のギターには、製作者の技術や音楽性はもちろん、精神性、人間性、
そして志の高さが現れるようだ。
それはおよそ弾き手とも相関関係をなすもので、そこに出会いの妙があるといえないだろうか。

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